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続・せっくす・ましーん (1)
作:れいのっく
ヴ……ン――
ん……
ここは……
ノイズのような感覚が、あたり中に満ちていた。耳の奥に残る耳鳴り、たまに画像の乱
れる視界、それに……脳の中にまで、砂をこすりつけられるようなざらっとする感覚が走
る。
寒い……
そう思った瞬間、だしぬけに記憶と感覚が戻った。
「う……うわあぁ!」
がばっとはね起きる。冷たい床に手をつくとぬるっとした感触が指に触れ――その手ざ
わりに、ボクは思わず背筋を震わせてあたりを見回した。
誰もいない、広いエレベーターの中。そのど真ん中に、ボクは素っ裸で寝ていた。
四角い空間の隅の方に、脱ぎ散らされたボクの服が無造作に投げ捨てられていた。ボク
は慌ててそれに飛びつき、急いで汗まみれのシャツとしわくちゃになったスーツを身につ
ける。服を着てようやく人心地つき、ボクはようやく数メートル四方の空間を観察するだ
けの余裕を取り戻した。
どこにでもありそうな、普通のオフィスビルのエレベーターのようだった。階数表示を
見ると……30階建てビルの最上階付近。オフィスビルだとしたらかなり大きな方だな。
内部も広い。一度に乗れる人数は10人じゃきかないだろう。
エレベーターは音もなく上昇し、最上階を目指しているようだった。もちろんこんな高
いビルで各階に停止するわけもなく、20階から29階までは素通りするらしい。
かすかに残る甘い空気とまだ少し濡れた体、それに閉鎖された空間であることが、ボク
に不安を呼び覚まさせていた。ここがどんなビルの中かはよく分からないけれど、取りあ
えず止まったらすぐにでも出た方が良さそうだ。ボクはシャツの襟を直しつつ、上昇が止
まるのを待った。
そして、エレベーターが停止した。
「あ、到着しまし――きゃっ!?」
扉が両側に開いた瞬間、ボクは飛び込んできた小柄な女性に正面からぶつかった。
こらえようとしたけれど、疲労のせいで足に全然力が入らない。体勢をくずして抱きつ
いてきたその女性に押されよろよろと二、三歩後ずさり、ボクは濡れた床に足を滑らせた。
「うわっ!?」
押し倒されるような格好で、ボクは仰向けに床に倒れた。後頭部を打って一瞬気を失い
そうになるのをこらえ、歯を食いしばって何とか立ち上がる。
(まずい……!)
開けられたエレベーターの扉から、続々と人がなだれ込んでくるのが見えた。その人波
に押され、ボクはあっと言う間に奥の壁へと押し戻されてしまう。懸命に人の群れをかき
分けて、ボクは外へとつながる扉へと歩を進めた。
その時突然、「ビーッ」という電子音が鳴り響いた。後から後から押し寄せる人の波が
途絶え、今にも乗り込もうとしていたOL風の女性が立ち止まり、すっと後ろに下がる。
人数オーバーだ。このままでは扉が閉まってしまう。ボクは慌てて腕を伸ばし、外へと
向けて手を差し伸べる。
「待って! 待ってください、下ります、下りま……」
必死でそう叫ぶボクの目の前で、扉は閉まった。凍り付くボクには構いもせずに下向き
の矢印が点灯し、体がすっと下に沈む感覚がそれに続く。
ボタンを操作してエレベーターを止めるには、位置が悪すぎた。ボクがいるのはちょう
ど四角い空間のど真ん中、腕をいっぱいに伸ばしても壁際のスイッチまでは届きそうもな
い。かと言って、びっちりと人で詰まったこの中を動くのもそれはそれで難しそうで――
その時になって初めて、ボクは自分の置かれた状況に気がついた。
(また……女ばっかりだ……!)
見回すと、エレベーター内を埋め尽くす人の群れはボクを除いて全員女性だった。この
ビルで働いている人たちだろうか、制服やスーツを着たOL風の女性が多く、年齢は20
代から30代くらい。みんなきれいでスタイルも良く、こんな状況でなければ鼻の下が伸
びそうなシチュエーションではあるけど……むしろ逆に、ボクの頭は落ち着きを失ってゆ
く。
数メートル四方の空間にはざっと見ただけで20人以上の女性が密集していて、彼女た
ちの香水や髪の香りがむっとするほどに充満している。前後も、左右も隙間なく女性の体
で埋め尽くされ、スーツや制服ごしの肉体にまるで閉じこめられてしまったように、真ん
中に取り残されたボクは腕一本すら満足に動かせない。
「ねぇ、大丈夫?」
「いたぁい……」
そんな声が聞こえて脇に目をやると、小柄な女の子が横の女性に助け起こされていた。
ボクにさっきぶつかって転んだ人だ。紺の制服につばつきの丸帽子。どうやらここのエ
レベーターガールらしい。お客さんを案内して真っ先に乗り込もうとして、ボクにぶつか
ってしまった――そんなところだろうか。
目が合うと、彼女は少し恥ずかしそうに会釈した。
「あの、お客さま……大丈夫でしたか?」
大きなくりんとした目が、緊張の色を漂わせてボクを見上げる。ボクより年下だろうか。
どこか子供っぽいところが残るその姿は、落ち着いた雰囲気を漂わせる他の女性たちの中
では少し浮いて見える。
大丈夫ですよと答えながら、心の奥がちくりと痛んだ。そういえば彼女も一緒に倒れた
のに、自分が出ることに精一杯で見向きもしなかったな……悪いことしちゃったなぁ。
ぎゅうぎゅう詰めのエレベーターに少し困ったような顔をしながら、彼女は声を張り上
げた。
「みなさま、今日はご来店いただきましてありがとうございます。このエレベーターは2
9階から21階には停止いたしません。20階で各階停止のエレベーターへの乗り継ぎに
なります。下に参りまぁす」
少し舌足らずな、まだ仕事に慣れていない声だ。社会人一年生というところだろうか。
彼女が働くこのエレベーターはどんな場所なんだろう。
ご来店ありがとうと言うことは、オフィスだけでなく店舗も入っているんだろうか。き
っとそうだろう。キャリアウーマン風の女性が多い中で、ブランドもののバッグや洋服に
身を固めたセレブな若奥様風の女性も何人か乗り合わせている。みんな一様に洗練された
物腰で、ただ一人の男としてはますます肩身の狭い思いだ。
六本木ヒルズとか、そんな感じのビルの中なのかな……と思った時、
だしぬけにエレベーターががくんと揺れて停止し、同時に照明が落ちた。
「ひゃぁっ?!」
素っ頓狂な悲鳴を上げたのは、エレベーターガールの子だけだった。一瞬「ざわっ……」
とした空気が流れるものの、他の女性たちは取り乱した姿を見せない。さすがにみんな、
大人の女性って感じだ。
その中に混じっては、ボクも無様な格好はできなかった。内心の動揺を押し隠し、非常
灯にぼんやりと照らし出されたエレベーター内を見回す。
コントロールパネルの前に立った女性が色々とボタンを押してみたが、エレベーターが
再び動き出す気配はなかった。空調も途切れたらしく室内にはじっとりと空気がよどみ、
密着する女性の体に押し包まれたスーツの下に、汗がにじんでくる。
「ねぇ、ちょっと。あなたここの店員でしょう? 何とかしなさいよ」
「え? ぁ……あの、あのう、あたし……?」
ボクの正面に立つ女性が、エレベーターガールの子に険のある声を投げた。その声に少
し怯えたように、エレベーターガールはおどおどと口ごもる。
眼鏡をかけた、美人だけど少しきつめの顔をした女性だった。細面で鼻筋の通った顔に、
シャープなラインの眼鏡が冷たく知的な印象を与えている。真正面に向き合うように立っ
ているため、ボクのスーツの胸元に彼女の乳房が当たっていた。
普段ならそれだけでどぎまぎしてしまうんだろうけど、冷たくエレベーターガールを見
下ろすその表情を見ると、とてもそんな気分にはなれなかった。険のある声に怯えるよう
に、エレベーターガールも首をすくめている。
「何ですって? あなた、このエレベーターを預かる身でしょう? もっとしっかりしな
さいよ。会社に連絡しなさいよ。ほら、早く!」
「ぁ……あのう、あた……あたし、まだ配属されたばっかりで、こういう時のマニュアル
とかまだ、よく分かってなくて」
「は? あなたよくそんなので仕事できるわね! いいわ、ここを出たらこの会社を訴え
てあげるわ。仕事もできない人間をお客の前に出すなんて何事だ、ってね」
「そんなぁ……」
厳しくなじられるエレベーターガールに、誰も助けの手を差し伸べようとはしなかった。
眼鏡のOLが怖くて誰も口を挟めないのか。いやでもちょっと違う。
エレベーターガールに注がれる冷ややかな視線が、彼女の今の立場を物語っていた。表
面上は平静を保っているように見えて、みんな内心ではいらついているんだ。その不満の
矛先がエレベーターガールに向いている。眼鏡OLの言葉、そして周囲から突き刺さる無
言の圧力に責め立てられ、エレベーターガールは半泣きな顔でボクを見上げた。
眼鏡OLの舌鋒はますます鋭く、今にも彼女の胸ぐらをつかんで頬をひっぱたきそうに
すら見えた。さすがに放っておくこともできず、ボクは眼鏡OLに「そのへんで勘弁して
あげなよ」と声をかけた。
「何よ。あなた誰? 彼女の同僚? あなたが何とかしてくれるのかしら?」
キッとにらみつけるような目が、ボクの目の前で光る。密着しているせいで何かしゃべ
ると彼女の吐息が頬に触れ、甘い匂いが鼻先に漂った。すらりとした彼女の身長はボクと
あまり変わらなく、眼前数センチに迫る美しい顔に、ボクは今更のようにどぎまぎした。
「いや、そういうわけでも……」
ないんですけど、と続けようとした時、かすかなノイズとともに館内放送が入った。
『(ガガッ――ピ・ピーッ――)あー、草薙くん? 聞こえるかね?(ザッ――)』
「は……博士!?」
天井のスピーカーから聞こえてきたその声は、紛れもなく来島博士のものだった。
「博士、博士! こっちの状況が見えてますか? 早くここから出してください!」
『(ザ……ザザッ――)どうもプログラムにバグが(ピーッ――ガガッ――)こちらから
は、君の様子が見えな(ザーッ)』
音声は途切れ途切れで、ボクは博士の言葉を満足に聞き取ることができなかった。が、
そのしゃべり方から察するに、どうやらこっちの声は届いていないらしい……?
「博士!? はかせー!? ボクの声が聞こえますか? 返事をしてくださいーい!」
『安全装置が(ピ・ガーッ)して、代えの部品が(ザ――ザザッ)もう何日か(ガガガッ
――)』
ノイズ混じりの音から切れ切れに言葉を拾い上げて、ボクは慌ててスピーカーを見上げ
た。
安全装置? 代えの部品? 危険な気配がプンプンするぞ。まさかこのまま、まだ何日
かここに閉じこめられるんじゃないだろうな……?
その時不意にノイズが薄れ、少しクリアになった音声がエレベーター内に響き渡った。
『そんなわけで、しばらくは機械を開けることもできん。明日には部品が届くから、修理
はそれからになるジャろう。なに、まだ若いから一日食わなくても死にゃせんよ。不便か
も知れんが、もう少しそこにいてくれたまえ』
「な……!? 博士!? はかせーっ!?」
『それじゃ頑張るんジャぞ』
始まった時と同じく、外からの通信は一方的に途絶えた。ボクは天井のスピーカーを見
合げ、半分パニックに陥りながら声がかれるほど叫び続けた。
「そんな! こんな所に一日もいたら、身が持ちませんよ! 助けてください、博士!
ここから出してください!」
冗談じゃない。こんな、女ばかりの空間で一日も閉じこめられていたら、一体何をされ
るか……今度こそ、命が危ないかもしれない。
でも、それで慌てたのはボクだけじゃなかった。
「ちょっとぉ、どういうこと!?」
「何よ今のは!? 私たちを閉じこめておいて、あんな態度ってないんじゃない?」
「明日まで出られないですって!? 冗談じゃないわ!」
「私、一時間以内に書類届けなきゃいけないのに……」
「ふざけてるの!? 責任者どこ!? 出てきなさいよ!」
博士の言葉に、女たちの不満が一気に沸点に達した。
今まで理性で押し殺していた分、噴き上がったその怒りは尋常なものではなかった。悲
鳴と怒号が飛び交い、何人もの女がスピーカーに向かって、そしてボクに向かって次々と
言葉を浴びせる。殺気立った声と空気に圧倒され、ボクはなすすべもなくその場に立ちつ
くす。
「ぁ……あたしわぁ、あたしわ、関係ありませんっ」
泣きそうな声が響いて思わず振り向くと、エレベーターガールが何人もの女性に詰め寄
られ、べそをかきながらおろおろと周囲を見回しているのと目が合った。
「ぁ……」
何かを思いついたように、彼女の目がきらりと光った。そして次の瞬間、彼女はひきつ
った笑みを浮かべてボクを指さしていた。
「その人に聞いてください! その人が全部、知ってます!」
その瞬間、室内にいる数十人の女の視線が、いっせいにボクを見た。
間が悪すぎる! 博士の言葉はマシーンの中にいるボクに対してのものだったけど、聞
きようによってはエレベーターに閉じこめられたことを言ったようにも取れる。その会話
を聞いたエレベーターガールが、ボクを管理会社のエンジニアか何かと勘違いしたとして
も不思議じゃない。
もちろん、それは他の女たちに取っても同じことで――
「ちょっとぉ! あなた責任者!? 説明してよ、説明!」
「この会社どうなってるの!? これだけの人間を一日も閉じこめておくなんて、どうい
うつもり!?」
「困るんですけど、早く書類を届けないと……」
「私なんか30分以内に会議に出なきゃクビなのよ!? 間に合わなかったら責任取って
よね!」
「ほら、どうしたのよ! 何で黙ってるの? 男のくせに肝心な時に役に立たないってわ
け!?」
「何でもいいから早く復旧してよ! ほら、早く! しなさいよ!」
言葉を発する間もなく、ボクは殺到した女たちによってもみくちゃにされていた。
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