いったい、この施設で行われた研究とはなんだったのだろう。考えが悪い方に悪い方に向いていくのは私の悪い癖だ。
いや、そんなはずはない。ブレインプロジェクトなどと書かれてはいるが誰かがイタズラ半分に考えた、ということもあり得る。
だが、古書を持つ手が汗ばんでいるのが自分でも良く分かった。私は、はやる気持ちを抑え次のページをゆっくり開いた。
4月11日
始め、この報告書にこのようなことを書くつもりはなかった。この研究を始めるに至った理由、など。
しかし、研究者のはしくれとして、いや、一人の男性として打ち明けておかなければならない。この研究もいよいよ来週で最終
の局面をむかえるだろう。その前に打ち明けておかなければならないのだ。
終戦を迎え、焼け出された私の家族には食べるものはおろか、着るものさえなかった。8人兄弟の長男である私に課せられた仕事は当然お金を稼ぐことであり、戦災を逃れた父や母、兄弟を養っていくことに他ならなかった。どこの家もそうだったが、配給される食糧では充分とはいかず、かと言い闇市で売られる白米も、ごく一部の階級をのぞき高嶺の花だった。
これを脱するには、やはり安定した仕事に着くしかない、そう思った私は明かりなどない馬小屋で必死に勉強した。
当時、勉強一本やりだった私は、ある女性に恋をした。女性と話しなどしたことがない私は彼女を遠目でしか見れず、自分の思いを率直に告白できる友人をうらやましく思うばかりだった。登下校時、彼女の後をそっとつけ、彼女が当時では珍しい喫茶店に入れば私も入り、異国の飲み物であるコーヒーに口をつけ、遠くから三つ編みの彼女を眺めていた。
馬小屋の天井裏で寝る前には、彼女はどんな食べ物が好きなのだろう、どんな花が好きなのだろう、どんな思想を持っているのだろう、と懸命に想像し、気づくと朝になる日が続いた。
ある日、私は彼女に思いのたけをぶつけた。彼女は思いもよらない顔をしたが、やがてゆっくりとうなずいてくれた。
この日から私と彼女は数年幸せな日々を過ごした。
今で言うストーカー行為だろうか、、、、古書には達筆な文字でその後もその彼女に対する思いが赤裸々につづってあったがある部分から、まるで別人のような、憎しみに満ちた文字に変わっていた。筆圧が加わり次のページに筒抜けている。
、、、、した彼女を私は一生許せないだろう。あのような形で私の思いを踏みにじった彼女を許すことは私にはできない。
私は研究に没頭した。くる日もくる日も論文を読みあさり、人の恋愛について研究に研究を重ねた。そこで辿りついたのが、人と人が出会い、恋愛、別れに発展するいきさつは次のようなことでしか成り立たない。
(1) あなたは彼女を愛していなかった。そして彼女はあなたに愛されていないと感じていた。それでも彼女はあなたを愛していた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・結果、不適合。
(2) あなたは彼女を愛していなかった。しかし彼女はあなたに愛されていると感じていた。だから彼女はあなたを愛していた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・結果、不適合。
(3) あなたは彼女を愛していなかった。しかし彼女はあなたに愛されていると感じていた。それでも彼女はあなたを愛することができなかった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・結果、不適合。
(4) あなたは彼女を愛していなかった。そして彼女はあなたに愛されていないと感じていた。だから彼女はあなたを愛することができなかった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・結果、不適合。
(5) あなたは彼女を愛していた。しかし彼女はあなたに愛されていないと感じていた。だから彼女はあなたを愛することができなかった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・結果、不適合。
(6) あなたは彼女を愛していた。しかし彼女はあなたに愛されていないと感じていた。それでも彼女はあなたを愛していた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・結果、適合。
(7) あなたは彼女を愛していた。そして彼女はあなたに愛されていると感じていた。だから彼女はあなたを愛していた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・結果、適合。
私の場合、ここにないもう一つの答えだったのだろう。勉強ばかりで人の思考というものが当時の私には分からなかった。
この研究をするに至る大きな要素でもある。愛とSEXはどれだけの関係性があるのか。
(8) あなたは彼女を愛していた。そして彼女はあなたから愛されていると感じていた。それでも彼女はあなたを愛することができなかった。
・・・・・・・・・・これが私の答えだ。なぜだろう。なぜ私の思いが伝わらなかったのだろう。なぜ(7)の答えにならなかったのだろう。なぜ計算通りに行かなかったのだろう。愛とはいったいなんだろう。人はなぜ恋愛し、子を産み、育てていくのだろう。
この研究者の意図することが今ひとつ分からなかったが、なぜか古書を読んでいた私はとてつもない焦燥感と悲壮感に押しつぶされそうになった。
人の感情は計算することなどできないものだけに、この報告書を書いた人物に、恐ろしさよりも、まず、深い悲しみを感じた。
文字の上にはこの人物が流した涙の跡のようなシミがあり、墨汁が所々ぼやけている。しかし、改めて考えると時代は違えど失恋をした人がここまで、このように思うまで、その女性を愛していた、と思うと手が震え出してくる。
少なくとも私にはここまで思いを寄せる女性など過去にいなかったのではないか。携帯や情報が錯綜し、恋愛さえもお金で買える時代に生まれた私には想像すらできなかった。
残り数ページを、一語一語読み落とすことのないようにしなければ。
4月12日
昨日は研究者らしからぬ余計な雑念を抱いてしまった。所長である私があのような湾曲した考えを持つと他のスタッフにも影響しかねない。ブレインプロジェクトにも多大な弊害、支障を与えてしまう。今後、気をつけなければなるまい。
小峰君から実験媒体である若い男性が入所した、と、さきほど連絡が入った。いよいよだ。控え室に備えてあるモニターを見ている限りでは、肌は浅黒く、体格も申し分ない。なんでも陸上部に所属しているらしく全ての、およそ健康を示す値が、世の平均男性よりも勝っているようだ。
当時の三つ編みの女性が頭をよぎる。愛がなければ本当の意味での肉体関係に結びつくことはない、女性の方から体を求めてくることはないと、ある論文で読んだが果たして本当なのだろうか。いずれにしろ、この実験で明らかになるだろう。
女性達の居る部屋は【欲の制限】により、今までにないほどの、例えて言うならば【フェロモンの渦】と、、、、いや、私は目に見える物しか信じない。科学とはそういうものだ。少なくとも私はそう教えられてきた。
ヒスチヂンとモリブトペンが驚異的な数値を表している。間違いない。彼女達は興奮状態にあると言っていい。
そのためか、食事を差し入れる女性職員でさえ、おとといの夕方襲われたらしい。
情緒不安定や精神錯乱により当初の3分の2ほどまで人数は減ったが28人、問題ないだろう。逆に言うなら彼女達はエリートなのだ。私が作りだしたブレインプロジェクトの最高のエ、、、、
途中で文字が判読できなくなっている。フェロモンの渦、という比喩が古書を持った私の心に響いてくる。
それにしても、普段、綺麗な洋服を着て街をかっ歩し、髪にも細心の注意を払い、文字通り化けるほどの美しい化粧をした彼女達が、こんなにも原始的になるものだろうか。
私個人では男性と女性とでは快楽に対する尺度が基本的に異なると思っている。男性は単調に愛情がなくてもスタイルや女の子の顔など興奮する素材があれば快楽だけ求められる。もちろん人により差はあるだろうが。
種の保存、、、、、、確かにこれは【美】を含め人間に備わった本能ではある。美しいとか可愛いという基準を誰に教えられたわけでもないのに私達は自然に最良の遺伝子、骨盤、乳房を選びもっとも強い【子孫】を残そうと、遠い祖先より自我に刻まれてきた。
だが、人はなにも子を産むためだけに性交するのではないのではないか。愛を確認するため、快楽を求め、それに及ぶこともあるのではないか。この研究者の憎悪ともいうべき過去の深い思慮の念が読んでいくほどに伝わってくる。、、、、、ん?
・・・・・・・コトンッ。
突然ぶ厚い古書のあいだから1本のテープが落ちてきた。私はさっそくオーディオにセットしてみた。数秒空テープのような無音が続いたが、しばらくして、ひどい雑音に混ざり、しわがれた老人の声が聞こえてきた。
《んっ、ン、、、、小峰君、、マイクは、、、マイクは入っているのかな、、、え〜、、本日午後9時より実験を開始する、、、いま午後6時を過ぎたところなので、、、あと少しだな、、、、なお、現在残っている女性達は26人、、、あれからまた2人脱落したことになる、、、、彼女達にとっても極限と言っていいだろう、、実験対象である若い男性だ、、が、ピュィ、、、ピュュゥィ、、、》
研究所の電磁波の関係だろうか。それともテープ自体相当古い物だったので劣化したのだろうか。ラジオのチューナーのような耳障りな音が老人の声をかき消した。私の部屋自体、異次元に放りこまれたような暗く重いオーラが漂っている。
私は窓のカーテンを開け外の冷たい空気を取り入れた。こうでもしなければ私自身おかしくなりそうな気がしてくる。普段、迷惑きわまりない近所のテレビから流れるナイター中継する音声が、今はなぜか心地いい。
私は一度深呼吸したあと古書の続きを目で追った。遠くにあるオーディオからは小さな雑音意外なにも聞こえてこない。
4月17日 pm6:30
いよいよ本日の午後9時、ブレインプロジェクトを決行する。当初予定していた日時よりも若干ずれ込んだが、それ以外は全て、とどこおりなく進んでいる。念のため小峰君に頼みテープにも記録しておいた。
だが、ここでちょっとした事件が起きた。被験者を彼女達のいる部屋の前の扉、これはアルミ製なので当然こちらからもアチラからもなにも見えないはずなのだが。
スタンバイさせておいた彼の匂いを嗅ぎつけたのか、数人の女性が爪をたてるように扉をかきむしっているというのだ。思ったよりも類著に結果が現れている。なにか喋っているようだ。貴重なサンプルなので音声とモニター画像は残しておかなければなるまい。
突然、点けっ放しにしておいたオーディオから雑音に混ざり女達のか細い声が流れてきた。
「男ぉ、、、おとこが欲しいのよぉ、、、プンプンにおうじゃないぃぃ、、、はやくぅ、、ほしい、、ほしぃぃ」
その声に混じり、なにかを引っ掻くザリザリとした音が聞こえてくる。私の呼吸がひときわ荒くなり、ジットリとした悪寒が足下から這い上がってきた。窓から入る夜気のせいではない。私はオーディオまで駆け寄ると叩くように電源を落とした。
ビュュルゥッ、、と間延びした音声が鳴り、無理に止められたテープが切れる音がした。
いくらなんでもタイミングが良すぎる。それはあたかも、この古書を読む私を待ち受けたようなタイミングだった、、、、、、、
つづく
てんちゃんの目次 その1へ戻る その3へすすむ