従軍慰安夫  (2)

 「こんばんは。末吉でおます。本日はようこそお越し下さいました。お座敷上がらしてもろて、よろしおすか?」。
 ここ春光楼では、お座敷での言葉は朝鮮語と決まっているのだが、お客の好みによって倭語(日本語)を使うことも認められている。ただしその場合の倭語は、卑しい倭語のなかでも比較的優雅な言葉として知られている京都言葉に限られてはいるのだが。

 「おお、末吉か。待っていたぞどこに行ってたんだ」。
 「へえ、ちょっと市場まで買い物に出かけておりましたんどす」。
 「そうか。いないときいて、落胆していたところなんだ」。

 沈中尉のそばでは、すでにふたりの妓生(キーセン)が侍って、お酒の酌をしていた。目の前には豪華な満州料理の数々が所狭しと並べられていたが、中尉はほとんど料理には箸をつけていない風だった。ふたりの妓生は、末吉をみるとちょっと残念そうな表情を浮かべながら、中尉の左の席を末吉のためにあけてくれた。

 末吉はすっとそこに座ると、妓生から法酒の徳利をうけとり、中尉のグラスになみなみとお酒をついだ。
 「中尉さん、ほんまに久しぶりやおまへんか。どこで浮気してはりましたんや。うち、寂しうて、寂しゅうて、ほんまに気ぃ狂いそうなくらいに、心配してましたんやで・・。もう今晩は帰えしまへんさかいな」。

 末吉はすねたような、甘い声を振り絞り、中尉の豊満でふっくらとした胸にしなだれかかった。中尉のバストの谷間に顔を埋めると、軍服を通して彼女の乳首が固くとがっていることが感じられた。

 「ふふっ、末吉はいつもかわいいな。ホントに久しぶりだ。できたらおまえのきれいな肌をなで回しながら、押し倒して、おまえの精が枯れるまで俺のオ○○コで絞り尽くしてやりたいんだが、今日はそうもいかん・・・」。
 「えっ、今日はお泊まりやおまへんのどすか?」。
 末吉は思わず中尉の胸から顔を上げて、すがるような目で中尉の目を見た。

 中尉の目は決して冗談を言っている風には見えなかった。何か思い詰めたような真剣な眼差しがそこにはあった。ふたりの妓生、雛玉と畝玉も、驚いたように中尉の顔を見つめることになった。

 「実はな、末吉。良く聞いてくれ。あっ、雛玉と畝玉も聞いておいてくれ。実はな、まもなく満州全土がひっくりかえるような大変なことが起こるんだ。具体的なことは軍の機密で、おまえ達に漏らすことは出来ないのだがな、とにかくどえらいことが起こる。そこで、おまえ達は今すぐにでもこのハルピンをでるんだ。そして出来るだけはやく南に向かって逃げろ・・」。
 「えっ・・・・・」。
 「南だ。わかるか?南だ。南満州鉄道の線路に沿って、まずは朝鮮本国を目指すんだ。いいな、すぐにだぞ。なんなら釜山から船に乗って倭国列島にわたってもいいだろう」。

 しばらく沈黙が続いた。
 「でも中尉、わてら娼夫は借金を返えさん事には、勝手に旅行なんかでけしまへん」。
 「わかってる。だから今日はほれこのとおり、おまえを身請けするための金もちゃんと用意してある」。
 「こんな大金・・・」
 「はははっ、おれの1年分の俸給を前借りしただけさ。どうせ隊では使うこともないだろうし、それに間もなく使えなくなるかも・・・・」。
 
 「中尉・・・・、それはひょっとしてロシアが・・・?」末吉の表情に不安げな表情が浮かぶ。
 「・・・・・・・」。

 中尉の無言は、その事実を物語っていた。軍の機密である。いくら軍によって保護されていると言っても、たかだが民間の慰安婦である。そんな大切な機密を軽々しく漏らすことなど出来るはずはない。中尉の沈黙は、中尉としての最大限出来る表現だった。

 
(注)後世、「従軍慰安夫」という造語がつくられることになるが、この時代の慰安夫はすべて民間人であって、従軍看護夫のように軍に従っていたわけではない。兵隊の衛生管理の必要性から軍が関与することはあっても、それはあくまでも悪質な業者を阻止するためのものであり、巷で言われているように軍隊が慰安所を開設したり、直接的に管理したり、ましてや一般男性を徴用して慰安夫にしたなどという事実は一切なかった。
 本小説のタイトル「従軍慰安夫」は、ひとつのブラックジョークとしての表現ではあっても、それをもって慰安夫が軍の管轄下におかれていた、いわゆる「従軍」していたということを意味するものではありません。

 

 「そうだすか・・・。とうとうその日が来たんどすな・・・」。
 無言の中尉を見つめながら、末吉はひとりでうなづいた。雛玉と畝玉もまた、黙ったまま凍り付いたように、二人のやりとりを聞いている。
 「わかりました。せっかくの中尉のお言葉だす。悪いようにはしまへん」。
 
 「そうか、逃げてくれるのか・・・」。
 「いえ、そういうことのお約束はできまへん。」
 「・・・・」。

 怪訝そうな顔をする中尉に向かって、末吉はにこっとほほえんで、中尉の両手を掴んでいった。
 「心配いりまへんて。中尉さんのご厚意は無駄にはしまへん。わてら娼夫ふぜいに、こんなに優しくしてくれる中尉さんを悲しませるようなこと、そんなことしたらバチがあたります。それから、このお金は受け取れまへん」。
 「えっ? それじゃおまえはここから・・・」。

 「ふふっ、中尉。あてらも死にとうはおまへん。生き残るためにはどないしたらエエかは心得ておます。ほんまに心配いりまへんて、なぁ雛玉ちゃん、そうやんなぁ・・」。
 「あ、はい・・・・」。
 末吉に突然、話をふられて、雛玉があわてたように返事する。

 「そやさかいに、ほんま心配いりまへんて。な、ほな中尉さんもこれから忙しいなりはりますよって、今晩くらいはゆっくりとしていっておくれやし・・」。
 末吉は精一杯のシナを作って、色っぽく沈中尉にしなだれかかった。

 結局その夜、沈中尉はマッカリ酒をほんの少しだけ飲みはしたものの、とうとう泊りはせず深夜の遅くに本隊に戻っていった。まだ沈中尉のぬくもりの残っている布団をいとおしくなで回しながら、末吉はこれから訪れるであろう災難を想像し、身の引き締まる思いで、自分自身に喝を入れていた。
 (しっかりせな。あわてたらアカン。うちがしっかりしぃへんと・・)
 

 つつく
  

      
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