従軍慰安夫  (1)

 末吉は、幸せの薄い男だった。
 朝鮮本国に比べると、貧しいといわれる倭国(日本)の中にあっても、特に貧しい東北地方の寒村の農家の息子として生まれ、貧しさの中で育った。当然、学校にすら行かしてもらえず、幼い頃から母父と一緒になって、朝から晩まで働きづくめ。10歳の誕生日を迎えると共に、親元を離れて、仙台にある朝鮮人富豪の家に奉公に出された。

 ここで下男としてこき使われ、他の使用人にもいじめられたりして、苦労に苦労を重ねた。幼心に雇い主の家の息子達が、きれいな洋服に身を包み、ピアノを弾いているのを見るに付けて、同じ人間でありながらなぜにこんなに立場が異なるのか、自分を生んだ両親の貧しさがただ悲しかった。

 15歳の奉公明けを直前に控えたある日、疲れでぐっすりと眠っている末吉の上に、覆い被さってきた黒い影が二つ。言わずとしれたこの家のドラ娘、長女と次女だった。彼女たちは末吉が騒げないように、口の中に自分の下着をねじ込んでから、両手と両足を押さえつけて、代わる代わる末吉を陵辱した。童貞だった末吉は必死で抵抗したが、所詮はかよわい男の身で、女の暴力に抗すべくもなく、涙を流しながら童貞を散らされてしまったのだった。

 翌日わずかばかりの奉公報酬を手に、追われるようにして、故郷に戻ったのもつかのま。貧しさに耐えきれずアル中と化していたオフクロが、抱え込んだ膨大な借金のカタとして、末吉の身柄はいつのまにか、悪徳業者に身売りされてしまっていたのだった。泣き叫ぶ末吉の腕を掴んだ「人買い」の大女に連れられて、列車に揺られ、船に乗せられて、とうとうこんな遠いところへと連れてこられてしまったのだった。



 「末吉っちゃん、そろそろ戻らないと、お父さんに叱られる・・」。
 「うん・・・そうね、そろそろかえろか・・」。
 「うん」。

 一番の仲良しの公助と手をつないで、末吉はにぎやかな露店街を後にした。とうとうお目当ての髪飾りはみつからなかった。こんなことならば、前に見つけたときに買っておけば良かった。でも今となってはもう後の祭り。そうかといって他の品物を買う気にもなれず、時間切れで貴重な外出日を無駄にしたことが残念でならなかった。

 まだ太陽は灼熱の輝きを保ったまま、中空に留まっている。しかし高緯度地方に属するここ満州の地では、それでも時刻は午後5時が近づいているのだ。急いで戻らなければ、お父さんから、どのような折檻を受けるかしれたものではない。

 人混みをかき分けて早足で急ぐ二人に対して、まるで汚らわしいものを見るかのように、敵意に満ちた目を向ける男達。そしてまるで品定めをするかのように、無遠慮に彼らふたりの股間に好色の目を向けるたくさんの女達。今では慣れっこになってしまって、全然気にもかけない二人は、それらの視線を無視するようにして、春光楼を目指した。

 人口50万人。ここハルピンの町は人種のるつぼといってもいい町だ。朝清戦争、朝露戦争による勝利で、大朝鮮帝国が中国から満州の地の支配権を獲得してからは、ひなびた片田舎にすぎなかったこの町は、一躍植民都市として脚光を浴びた。朝鮮本国からは実業家、軍人、農民、そして労働者が大挙して流れ込んだ。

 またそのわけ前に預かろうとして、中国本土からも、蒙古からも、そして海の向こうの倭(日本)からも、食いっぱぐれた連中がこのハルピンの町に押し寄せ、国際都市ハルピンが誕生したというわけだ。露天を歩いていると、いろんな国の言葉が飛び交っていた。

 城壁のない満州独特の町並みは、近代的な建物が建ち並ぶ新都地区と、貧しいスラム街が複雑に絡み合い、一歩スラムに足を踏み込むと、犯罪が横行する魔都でもあった。華人マフィア、倭人ヤクザが幅を利かし、アヘンの売人が街をうろつく。

 きれいなドレスに身を包んだ朝鮮人男性などがここに紛れ込もうものなら、たちまちヤクザ達に取り囲まれ、何人もの女共に繰り返しレイプされたあげくに、翌日には香港あたりに売り飛ばされてしまうという、ほんとうに物騒な街でもあるのだ。

 その物騒な街のはずれに、いわゆる赤線地帯が設けられ、松江と名付けられた「性」を売り物とする店が建ち並ぶ一角がある。いわゆる「遊郭」と呼ばれる泊まり客専用の店だけで80軒はくだらない。そして末吉達が戻ろうとしている春光楼もまた、その中の老舗のひとつだった。

 ふたりがその裏口から戻ったのはちょうど5時の1分前。本当にきわどいところだった。一週間前には、この門限に5分遅れたという理由で、満州人の小福が、お父さんからこっぴどく叱られて、ムチでぶたれた上に、3日間食事無しの罰を受けたところだ。

 この「お父さん」。名前はお父さんといっても、それは血を分けた本当の父親ではない。ここ春光楼の経営者であり、また支配者である、朝鮮人の朴玉順の夫、大喜のことをさしている。この男の横暴さとどん欲さは、ここハルビンの町でも指折りと言っていいほど。しかもケチで、サディストなんだから、娼夫達の間でもいたって評判が悪い。

裏口の木戸を抜けて、娼夫控えの部屋へ急ごうとする二人に、先輩格の善根兄さんが声をかけてきた。善根兄さんは、この春光楼の娼夫の中では一番の古株であり、また朝鮮人ということでもあって、私たち倭人とは異なる一種独特の洗練された美しさを誇っている人なのだ。しかも誰に対しても優しくって、人望もある。

 「あっ末吉っちゃん、いいとこで会ったわ」。
 「あっ。お兄さん、おはよう様です。ワタシにご用ですか?」。
「そう。末吉っちゃんよ。あのね。良いこと教えたげる」。
「えっ?」
 「ふふっ、実はね・・・・」。
 「は、はいっ」。
 「・・・・・・・」

 じいっと、善根兄さんは、末吉のことを無言で見つめる。沈黙に耐えきれず、末吉がの顔がみるみるうちに泣き顔になる。

 「ぷっっ」。兄さんが吹き出す。
 「あっはっはっはっ・・・おっかしいっ!」。
 「へっ・・・あっ、お兄さんからかわないで下さいよおっ」。
 「くくくっ、わっわるい! で、でもね、末吉っちゃんの真剣な顔を見ていたら可笑しくってぇ・・・」。
 「もっ、だったらイイです。 ワタシもう聞きません!」。
 
 わざとふくれてみせる末吉をみて、さすがに大笑いしていた善根も、今度は必死で笑いをこらえて、平常の顔に戻るよう努力を試みた。

 「ねえ、兄さん。ホントに何なんですか。教えて下さいよぉっ」。

「あっ、ごめんごめん。実はね。驚いちゃダメよ。あんたのいいひと・・・来てるわよ・・・」。善根兄さんは、そういうと妖しくウインクをする。

 「えっ??!、ひょっとして沈(シム)中尉が来てるんですか?!」。
 末吉の目は、大きく見開かれて、善根兄さんの目をのぞきこむ。
 お兄さんは、一言も言葉を発することなく、こくりとうなずいた。その表情は慈愛に満ちていて、いかにも嬉しそうだ。
 「そっ、そうなんですね」。

 末吉は躍る心を隠そうともせずに、目を輝かせた。
 沈中尉は、ここ春光楼の常連さんの一人で、現在はハルピン駐在の朝鮮陸軍第48師団に属する情報部将校である。陸軍の将校にありがちな、横暴なところはこれっぽっちもなく、誰に対しても優しくて、ここ春光楼の若い娼夫たちにも人気がある。

 ことにここ半年間は、末吉がお気に入りらしく、何度もお座敷に呼んでくれる。いつしか末吉も中尉を心待ちにするようになり、中尉が訪れるのをのを指折り数える日々が続いていた。

 しかしどうしたことか、ここ数日というもの、全く姿を見ることが無く、特別任務でハルピンを離れてしまったのだろうかと、気をもんでいた所なのだ。それだけに沈中尉が来てくれたと聞いただけで、末吉は天にも昇る気持ちになったのだ。

 まだお座敷へのお呼びがかかってもいないというのに、末吉はためらうことなく、中尉が来るといつもいる部屋へと急いだ。

 つつく
  

      
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