集団逆レイプ論

1,レイプ(強姦)についての考察

「集団逆レイプ」、この言葉を国語辞典や百科事典などで調べてみた人はいませんか。徒労に終わると
思うので実際に調べたことのある人はほとんどいないでしょうね。はいはっきり言って無駄でした(笑)・・・。
該当する項目はありませんでした。

 「集団」と「逆」と「レイプ」。この三つの単語によって構成されたこの言葉は、つい最近になって作られ
た、セックスにおけるバリエーションの一形態を現す新造語と考えられます。性の価値観が多様化して
いく中で、ノーマルに対するアブノーマルのひとつの形態を現す言葉として、しだいに認知されてきました。

 類似の造語としては「集団レイプ」と「逆レイプ」があります。では、これらの言葉の意味する違いを一
つづつ解き明かしていきたいと思います。
      

 まず手始めに、「レイプ」についての考察から。
 レイプ、強姦、陵辱・・・これらの言葉から連想される要素は、なんともやりきれな男の身勝手さを感じ
ます。そこには女性を単なる己の性欲のはけ口としか考えず、人としての尊厳も人格も一切認めない、
あまりにも自己中心的な思考形態が存在します。

 それゆえにこそ、この行為自体はれっきとした犯罪であり、世界中のどこの国の刑法においても「強
姦罪」という重大な犯罪として規定され、その罰則もまた厳罰(日本の場合は残念ながら諸外国に比
べて少しゆるい)が課せられています。

 わざわざ犯罪と断らなくても、レイプという言葉自体には、強い者が弱い者、この場合はあきらかに
男性が女性を力の下にねじ伏せて、一方的に自分の欲望を満たすために、女性を蹂躙するという、
いかにも後味の悪い陰湿なイメージがつきまとっています。それはなぜなのか。レイプという行為を
行う男の側に、相手に対する配慮がほとんど無く、一方的に自己の性欲だけが前面に出てくるため
でしょう。

 よく混同されるアブノーマルの一形態にSMというのがあります。いわゆるサディズムとマゾヒズム
ですね。SMには色んなパターンがあって、男のSもあれば女のS(いわゆる女王様ですね)もいて、
鞭にローソク、浣腸から拘束具まで、いろいろあります。
でもSMの中でも多数派は、やはり男のSが女性のM奴隷を調教するという形態のものでしょうか。

 しかしこのSMというものとレイプとの決定的な違いは、相手に対する愛や思いやりがあるかない
かです。つまり合意の上のプレイであるSMは、あくまで男と女の間における「愛」を育む一つの形態
と考えても間違いではありません。レイプをひっくりかえしたらプレイ。カタカナの上でも明らかに「似て
非なるもの」なのです。
    

 よくエロ雑誌などには、女はレイプされても感じることがある、なんて記事を見かけることがあります。
またインターネットのBBSなどにも、これを追認するような無責任な発言を見ることがあります。でも果
たして本当に、女性はレイプという卑劣な行為でセックスの喜びを感じたりするものでしょうか。

 否。99%そんなことはありえません。これこそ男の性と女の性の、根本的な違いと考えていいでしょう。
この性欲の違いについては、後で詳しく論じる予定ですが、女が見ず知らずの男に暴力的に犯されて、
性の喜びを感じるなんていうのは、男の妄想以外の何ものでもありません。

 女性が性の喜びを感じるのは、あくまでも相手の男性と精神的な絆を感じたとき、すなわち「愛」や
「好意」など、相手の男性と自分との間に、何らかの心の一体感を共有できてこそ、女性という性は
「快感」を感じることが出来るのです。

 男の性はそうではありません。性欲と愛情は常に一致するものではなく、相手の女性と精神的な絆
などなくとも、性欲だけで女を抱くことが可能です。最愛の女性がいるのにも関わらず、多少の罪悪感
さえ克服できれば風俗の女性を抱くことができる。この特性こそが、男の性のもつ根本的な特徴という
ことが言えますか。

 つまりは、そこにこそ誤解の原因があるのです。女性という存在を自分と同じ性衝動をもつ存在と
誤認した段階で、女もセックスに持ち込みさえすれば、その快感によって喜びを得るはずだという、
誤った理解をしてしまうことです。男と女の性衝動は全く違うのです。
       

 暴力によってむりやりに犯されるという行為は、女性に「嫌悪」と「恐怖」と「屈辱」を与えるだけで
あって、その行為によって女性が「快感」のトビラを開くということは、女性心理の構造上からありえ
ないことなのです。

 刑法では、和姦か強姦かという区別が大問題になります。和姦=つまり合意の上でのセックス。
強姦=つまり合意を得ないで他者が暴力でもって行うセックス。後者は明らかに犯罪として処断さ
れますが、前者は犯罪を構成する要件ですらありません。

 ここで問題になるのが「合意」があるかないかです。「合意」すなわち相手の女性がその男性を受け
入れる用意があったのか無かったのかという問題です。刑事裁判ではしばしばここら辺の事実認定
に大きな時間を割いています。

 判りやすい例でいうならば、相手の女性が犯された場所がどこなのか。例えばファッションホテルの
一室で女性がレイプされたとしましょう。ファッションホテルというものは、通常は男と女がエッチな行為
をするための場所として認識されています。行為そのものは暴力的に犯されたとの主張があったにし
ても、ノコノコとそんな場所にまでついていった女性にも責任があります。

 つまりセックスすることを前提としたつきあいをしてもいいと、女性自身が認めたことになり、それは
その段階では「合意」を得ていたと考えられるのです。もちろん裁判の場で、男性の側にどれほどの
「強制力」があったかという点で、「強姦」か「和姦」かが争われるわけですが、そのケースによっては、
「強姦罪」は適用されず、せいぜい「強制わいせつ罪」か、場合によっては「無罪」となることもあるよう
です。


 さて、では女性がなぜにこれほど「合意」にこだわるのか。これは男性にとってはなかなかに理解が
しずらい問題です。女性が弱々しい存在であるがため、それを保護するためになんて事を言うつもり
はありません。最近の女性は十分に強いですからね。

 ここら辺の理由については、またあとの章で詳しく解説をする予定ですが、ひとつはっきりしているの
は、女性とは生命を生み出し、そしてそれを育むことを運命づけられた性であるということに由来して
いるからなのです。

 「相手を選ぶ権利」は男女どちらにもありますが、女性には性交によって生じる結果に対し、その負う
べきリスクは男性とは比べられないほどに大きなものがあります。場合によっては自らの生命をかけ
ねばならない程のリスクが。それだけ女性が相手の男性に対して「合意」つまり「愛」を確かめるという
欲求を持つのは至極当然の、本能的なものなのです。それだけ女性は愛に真剣にならざるを得ない
わけなの
です。

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